とある飛行機好きの生活向上ブログ

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京都の大徳寺にある「大仙院」。『心』がある禅寺。

あなたには、つらい時や苦しい時に心を支えてくれる「言葉」がありますか?

 

京都へ


今回は、日本における私のとっておきの場所を一つご紹介したいと思います。

 

当ブログを普段チェックされている方の中には、私のことを海外フリークだと思っている人も少なくないかと思いますが、実際の私は日本大好き人間です。旅行先として海外を優先的に選んでいる理由は、単に「老後に海外に出かける元気や体力は多分ないから」です。動けるうちに遠出しておいて、老後は日本国内をくまなく旅しようと考えています。

 

さて、そんな私ではあるのですが、それでもなお、ふらっと一人で何度も訪れている場所が日本にあります。

 

京都のとある禅寺なのですが、大昔、東海道新幹線の車内に貼ってあったJR東海の「そうだ 京都、行こう。」のポスターで知りました。一度足を運んで以来なぜかハマってしまい、海外で暮らしている近年でもたまに訪れています。

 

有名なお寺ではあるのですが、かつては比較的空いていることが多く、また本当のお気に入りというのは誰にも教えたくないものですから、いつも人に話すのを躊躇ってきました。

 

しかしながら、日増しに人が多くなり、先日訪れた際には白人だらけ。正直興醒めでした。

 

ただ、このお寺には、それでもなお、混雑しようが何だろうか見に行く価値のあるものがあります。そして、それは外国人には絶対に理解できないものなのです。なぜなら、それは日本語で書かれていますから。英訳は可能ですが、そんなんじゃ絶対に伝わらない。

 

ということで、今回思い切ってこちらで紹介することにしたのです。

 

かつての京都はいい場所でしたが、最近は本当に外国人旅行客でごった返していることも多いですし、中国語ばかりが聞こえてきてげんなりすることも増えました。ただ、兎にも角にも、ここにだけは、ぜひ一度足を運んでいただきたいなと。あなたが日本人であるのなら。

 

大徳寺にある大仙院


今回ご紹介するのは、「大徳寺」という臨済宗の巨大なお寺というか、小規模寺院の集合体のような場所の中にある「大仙院」という塔頭寺院です。あくまでお寺の中にある塔頭なので、それ自体を「お寺」と呼んでもよいのかはちょっと私にはわかりませんが、当記事では便宜上そう呼ぶことにします。ということで、今回は禅宗のお寺、すなわち禅寺の話です。

 

ちなみに、細かいエピソード等は省略しますが、大仙院は千利休とも関係の深い非常に由緒あるお寺です。例えば、千利休が処刑され、晒された彼の首を持ち帰って手厚く葬ったのはこちらの三世住職であった古径和尚だったりします。なお、現在の住職は尾関宗園氏。著書が多数ありますし、かつてはテレビなんかにもよく出ていた名物和尚さんです。80代後半のおじいちゃんではありますが、まだまだ現役。先日も、柔和な眼差して観光客との会話を楽しまれている姿がそこにはありました。

 

大徳寺の場所ですが、京都駅のだいぶ北にあります。

 

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アクセス方法には色々ありますが、路線バスの利用が便利です。すぐ近くまで簡単に行けます。歩くのが苦でない場合は、北大路駅から1kmくらいなので歩いて向かうのも悪くないかと思います。京都駅から北大路駅までは烏丸線で約15分です。

 

ということで、やってきました大徳寺。

 

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中に入ると地図がありますので、そちらで場所をチェックし大仙院へと向かいます。大仙院の場所は非常にわかりやすくて、門を抜けたら右に曲がり、真っ直ぐひたすら奥に進めば辿り着けます。

 

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私が仕事関係で会う外国人の中にも多いのですが、「禅」や「座禅」というのは特に白人に大人気です。なのでこちらのお寺でも英語表記を非常によく見かけます。

 

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こちらのお寺、中に入るまでの雰囲気も素晴らしく、特にこの日は木々の緑がキラキラと輝いていて本当に心が洗われるようでした。

 

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ちなみに、本堂は国宝です。

 

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ここが入り口。

 

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今回の記事における写真は以上で全てです。実はこちらのお寺、中での写真撮影は一切禁止なので記録に残すことができないのです。ただ、それならそれで悪くないのかもしれません。写真では伝わらないものがあって、実際に足を運ぶ必要が確かにあるわけですから。

 

そこにある『心』


見所の多いお寺ではあるのですが、やはり何と言っても庭園だと思います。室町時代を代表する枯山水であり、非常に完成度の高い静寂さの美が感じられるはずです。方丈南庭には沙羅双樹の木があるのですが、見る度に平家物語の冒頭部分を思い出し、何とも言えない気分になります。

 

とまあ、非常に素晴らしい名所ではあるのですが、実は、私は庭を見るために訪れているわけではないのです。

 

私の目的は、ある書を見ること。

 

そのタイトルは、、、『心』

 

千利休を始めとする様々な茶人たちが訪れた茶の間の壁に、『心』というタイトルの書が掛かっているのです。それにはこう書かれています。

 

心は行動となり

行動は習癖を生む

習癖は品性を作り

品性は運命を決す

 
これは尾関宗園氏の作品なのですが、尾関宗園氏オリジナルの言葉なのかどうかは私にはわかりません。何度もお話ししているのですが、いつも聞くのを忘れてしまうのです。

 

これを読んであなたが何か感じるかどうかは私にはわかりません。ただ、私はこの書に出会う前から「品良く生きること」を自分の人生におけるポリシーとしてきましたから、この書に出会った時には衝撃を受けました。

 

ちなみに、これは私のただの勝手な推測ですが、冨樫義博氏の作品である「HUNTER×HUNTER」に出てくるネテロ会長がメルエム戦で着ていた「心Tシャツ」はこの書からヒントを得ている可能性があるような気がしないでもないです。大仙院は漬物の「たくあん」を考案した七世住職の沢庵和尚が宮本武蔵に禅の極意を教えた場所としても有名ですから、ネテロ会長のモデルは沢庵和尚なのではないかなと。まあ本当にただの推測でしかないのですが。

 

少し話がズレましたが、兎にも角にも私はこの書が大好きで、訪れた際にはこの書をしばら〜く眺め、庭園をサラッと眺め、沙羅双樹の木をじ〜っと眺め、和尚さんに軽く挨拶をしてその場を後にします。

 

その後少し移動し、賀茂川をしばらく眺め、哲学の道をぶらぶら歩き、よーじやでお土産を購入し、バスに乗って三条京阪へ。日本酒を飲みながら寿司を摘んで、先斗町にあるバーに移動。ウイスキーを飲みながらバーテンダーさんとの会話を楽しみ、タクシーでホテルへ。だいたいいつもそんな感じです。

 

終わりに


皆さんの人生がどのようなものか、私にはもちろんわかりませんが、私のこれまでの人生は兎にも角にも大変なことばかりでした。しんどい時間や苦しい時間が本当に多かったですし、今でも毎日を生きることは苦痛です。

 

そんな中でも、道を逸れずに生きてこれた背景には、「心をしっかり持つ」ことを心がけてきた、というのがある気がします。

 

目には見えない心ではありますが、思いを強くすることでそれは形を成し、自身を支えてくれる存在になり得るのです。

 

私は宗教には一切関心がありませんし、神も仏もイエスもアッラーも全部私からしたら誰かが作った金儲けや政治的権力維持のための道具程度にしか考えていません。

ですから説法とかバイブルとかそういうのはどうでも良いのですが、個人レベルで哲学というか、人生における「ポリシー」を持つことは重要だと考えています。

 

そういったものというのは、一体どうやったら獲得できるのか?
そんなことは私にはわかりませんが、今回ご紹介した書なんかが、もしかしたら読者さんの中のごく一部にとっては「ヒント」になるのかも、、、なんて私はちょっと期待しています。

 

川端康成がノーベル文学賞を受賞した際の基調講演のタイトルは「美しい日本の私」であり、その26年後、大江健三郎が受賞した際のタイトルは「あいまいな日本の私」でした。それから24年が経ったわけですが、彼の言うところの「あいまいさ」は現代の世において極限まで拡大したように私には思われます。

 

そんな時代だからこそ、『心』は我々にとって何らかの鍵になり得るのではないかなと。そんなことを考えつつ、日本のことを想いつつ、北京にて今これを書いています。今日は珍しくきれいな青空が広がっているので、この記事をアップしたら散歩にでも出かけようと思っています。