とある飛行機好きの生活向上ブログ

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「クリスマス中止のお知らせ」はなぜなくなったのか?

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今日は待ちに待ったクリスマスイブ!
なのですが、、、何かが足りない。
いつもこの時期になると必ず目にするものがあったような、、、

 

「クリスマス中止のお知らせ」


これ、わかる人にしかわからない話なのですが、数年くらい前までは、毎年この時期になるとネット界隈(2ちゃんねる界隈?)では「クリスマス中止のお知らせ」が出回り、「おっ、今年もこの季節がやってきたか!」なんて思ったものです。

 

要はある種のネタフレーズなのですが、「サンタクロースが逮捕された」等の中止の理由が添えられていたり、新聞やポスター形式になっていたりと毎年工夫が凝らされていて、一部のネット民にとっては風物詩となっていました。

 

他にも、イブの日に集まってカップル向けの飲食店でオフ会をしたり、ラブホテルに一人で泊まって一組でもラブホ難民を増やそうと努力する猛者が現れたりと、ネットの世界では色々と盛り上がり、私もそれを毎年画面越しに楽しんでいました。

 

しかし、ここ数年でそういったトレンドは一気に鎮静化してしまいました。

 

そういうジョークに対する需要がなくなってしまったというか、そういうネタを楽しめる雰囲気そのものが消失してしまったように思えるのです。

 

「そう言えば、最近ネットがつまらなくなったな、、、」
「でも一体何が原因なんだろう?」
今朝ふとそんなことを考えてしまい、今回筆をとることにした次第です。

 

私が色々と思いを巡らし行き着いた答えとしては、以下の二つ。

 

  1. 心に余裕のない人が増えた
  2. SNSの台頭

 

それでは、順番に見ていきましょう。

 

なくなった「余裕」


まず一つ目ですが、上述のトレンドの変化は、心に「余裕」のない人が増えたことの現れなのではないでしょうか。

 

現代の日本社会はよく「不寛容社会」なんて言われるわけですが、この10~15年くらいで日本人の生活は大きく変化しました。かつてのように、22歳で就職して60歳まで安定的に働き続けられるような時代ではありませんし、普通に働いていれば一軒家が買える時代でもありません。普通に異性と出会って普通に恋愛をし、普通に結婚して、普通に子供を作って普通の家庭を築く。それら全てが「普通」ではなくなってしまいました。

 

特に重い問題として、経済的な問題で苦労している人が本当にものすごく増えました。少子高齢化が急速に進み、地方は寂れていく一方。大都市で暮らすことがステータスとされ、猫も杓子も東京に出て行くようになりました。毎日毎日鮨詰め状態の電車に1時間揺られ、ギスギスした職場で過ごし、狭いアパートに帰るだけの日々。そんな生活をしていて心に余裕が持てるはずがありません。

 

昔はそんな生活でも継続していれば給与は自動的にどんどん上がっていきましたし、各々身の丈に合った楽しみ方をする自由度のようなものがありました。しかし、現在の日本社会は承認欲求のぶつけ合いそのもの。フェイスブック(Facebook)やインスタグラム(Instagram)で皆「いかに自分がハッピーか」を主張し合い、とかく華やかな食事や旅行、高価なアイテムに対して精神面での価値が注がれるようになりました。嫉妬心がひたすら煽られ続ける世の中であり、自身を満たすのに必要な経済力の基準が大きく引き上げられてしまったのです。

 

そんな社会において、ジョークなど楽しめるわけがありません。皆大真面目で日々必死に生きているのです。「総マジレス時代」とでも呼ぶべきでしょうか。

 

SNSによって駆逐されたもの


次に着目すべきは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Networking Service、SNS)が台頭したことによる影響です。

 

私はPC-98でダイヤルアップ接続をするのが基本だったような時代から20年間以上インターネットの世界にどっぷり浸かり続けていますから、実質的にインターネットの進化のほぼ全てを見てきたと言っても過言ではありません。

 

SNSが登場する以前は、匿名で書き込める掲示板というのがエンターテイメントの中心であり、趣味を同じくする者同士で、「リアルな自分」から離れてコミュニケーションを楽しむことができました。当時はそもそもインターネットはそこまで一般に普及してはいませんでしたから、利用者の中には経済的な余裕のある層やインテリ層が相対的に多く、自虐や冗談を交えつつもセンスのある文章が飛び交っていたのが印象的でした。

 

そして、日本にはミクシィ(mixi)というSNSが登場するわけですが、これが大ヒットしました。匿名で利用できる上、ユーザーフレンドリーなインターフェイスで誰にでも簡単に利用でき、更にユーザーが興味のあるコミュニティー(通称コミュ)に参加し、そこでメンバーと交流できるシステムの使い勝手が非常に良かったのです。この段階から、「匿名ではあるものの、まず自分自身の大雑把なプロフィール(プロフ)を示した上での交流」というのが主流になったわけです。

 

はっきり言って、ここまでは良かったのです。なぜなら、「リアル(現実)」と「ネット」をしっかりと分けて楽しむことができたからです。当時から、オフ会というものは盛んに行われていましたが、完全に匿名でネットの世界だけで楽しむことも容易でした。

 

しかしながら、その後ミクシィに対して大大的な規制がなされ、それを機にこのSNSは衰退の一途をたどることになります。端的に言えば、匿名で利用可能な上、未成年の利用者も多かったため、不純な異性交遊や売買春等の温床にもなってしまったからです。それ以降、アカウントを作るためには電話番号の認証が必須となり、運営側が利用者を完全に特定できるようになりました。

 

そしてその次に日本でヒットしたのがフェイスブックです。スマートフォン(スマホ)の普及とも相まってユーザー数を増やし、人事担当者が採用の可否を検討する際に応募者のフェイスブックアカウントをチェックするのも慣例となりました。言うまでもなく、フェイスブックは本名での登録を必須としていますから、この時点で「ネットの世界」は「リアル」に完全に取り込まれることになりました。

 

最近ではインスタグラムやツイッター(Twitter)が流行っていますが、これらは著名人と簡単に繋がれる点がおそらく一番の魅力なのだと思います。ツイッターは使い方次第な部分もありますが、インスタグラムは写真のアップロードが基本ですから、匿名性はほぼほぼないようなものです。すなわち、ネットの世界で普段とは別の自分を楽しむのではなく、あくまでリアルの一部であると言えます。

 

とまあ、そんなわけで、かつてのような「ネットという名の別世界」は現代の世にはそもそも存在しないのです。広がりのあるバーチャル空間というよりは、ただのツールと呼んだ方が適当だと私は考えています。ですから、「バーチャル空間で匿名の人物が生み出したジョーク」などというものが存続すること自体がそもそも難しいわけです。クリスマスが中止になったなんていい歳した大人がリアルで言ったらドン引きされるだけですからね(笑)

 

消失した居場所


堅苦しい話はこの辺で終わりにしておきますが、兎にも角にも、ネットがつまらなくなったなと思います。

 

例えば、フェイスブック。私は政治や国際問題といったような話題が好きなのですが、みんな政治観や信仰に関する意見やポリシーはバラバラなわけで、あんな場所で本音を書いたり持論を展開したりなどできるはずがありません。会社での昇進等にも影響する可能性が大いにあるわけですから。

 

もう一例挙げると、ツイッターも正直なところ微妙です。身バレに気をつけつつ匿名でやろうとすると、海外旅行先でリアルタイムに写真をアップ、、、なんていうのも躊躇われますから、結果的にフォロワーが増えません。さらに私は特にちょっと変わった生活をしているため、個人情報を詮索されることも多く、はぐらかした瞬間にブロックされたりすると本当に精神を病みそうになります。

 

そんなわけで、最近ではネット上に居場所がないな、、、なんて感じることが多いです。
ブロガーとしての活動は継続しているわけですが、双方向のコミュニケーションにはなかなか発展しないんですよね。

 

私の場合、参加者のフィルタリングをせずにオフ会を開催し、リアルでの活動に完全に移行してしまうという選択肢がないわけではないのですが、上述の通り普段政治や宗教関係の発言も多いので、やはりリスクがあります。

 

「匿名性が高い場所は犯罪の温床になる」というのは理解できるのですが、良くも悪くもネット上に自由があった時代を経験していると、最近のネット界はどうも息苦しく感じてしまうのです。

 

要は、ネット上でも実社会と同様のマナーが求められる時代になったということなのでしょうね。

 

「ブロック機能」の闇


せっかくなのでもう一点だけ書いておきたいのですが、ネット上でも「リアルと同様のマナー」が求められるにも関わらず、ネット上にはリアルにはない重要な機能が一つあります。SNS等で実装されている「ブロック機能」です。

 

リアルでは、例えば会社にどんなに嫌な同僚がいたとしても、相手を消し去ることはできないわけで、何とかして我慢しつつ妥協しつつ付き合いを続けるしかありません。しかし、SNSの世界では相手をブロックすることにより瞬時に消し去り、まるで存在しなかったかのように消去することができます。

 

「リアルにはブロック機能はない」という事実は大きなストレスになり得ると思いませんか?
それに、もしかしたら、良好な関係を築けていると思い込んでいた相手から急にブロックされて酷く落ち込んだなんていう経験がある人もいるかもしれません。

 

これが、私が近年SNSを嫌っている理由の一つです。

 

終わりに


クリスマスイブにせっせとこんな記事を書いている自分を客観的に見るとちょっと寂しい気もしますが、こうやって書いた文章を読んで、もし何らかの感想を持ってくれる方が一人でもいたら純粋に嬉しいなと思っています。

 

ちなみに、私みたいな人のことを近年日本では「クリぼっち」と呼ぶのだとか。
う〜ん、、、こういうところでもつい思ってしまうんですよね。最近の日本人ってセンスないな、、、と。
語呂が悪いような気がしてならないのですが、、、あなたはどう思われますか?

 

それにしても、10年とか15年とか、そのくらいの時間で世界というのは大きく変わるものなのですね。iPhoneが発売されたのなんてたったの11年前ですからね、、、

 

昔はネットに接続するにもプロバイダーとの契約が必要だったりちょっとしたセットアップが必要だったりして、ある程度のハードルがありました。スマホの普及によって老若男女を問わず本当に誰でもいとも簡単にインターネットを利用することができるようになり、ネットの世界は現実世界に組み込まれ、かつて秘密の隠れ家のような存在だったそれは社会インフラとも呼べるものに変貌を遂げました。

 

さて、次の10年では何が変わるのでしょうか。
私の予想を書いておきましょうか。

 

おそらく、我々が持っている様々なサービスのアカウント情報がビッグデータの解析によって有機的に結び付き、我々個人個人の行動というか、ある意味人生そのものがどこかのサーバーに記録として未来永劫残ることになると思います。もちろん、個人がそれにアクセスすることは許されないでしょうが、例えば、有事の際などには、、、

 

「クリスマスイブ中止のお知らせ」も今度再び出回ることはないでしょうし、ディスプレイに映った美少女ゲームのヒロインとクリスマスディナーを楽しんでいるオタクたちの画像を酒のつまみにできる日もきっともう来ないでしょう。

 

「あの頃は良かった、、、」なんて口が裂けても言うまいと若い頃は思っていましたが、ダメですね。私もまだまだです。

 

それでは皆さん、素敵なイブの夜を。
メリークリスマス。